あの日食べた麺の名前さえ僕らはまだ知らない
2012年06月14日
長台詞を決め込んだ悪夢
あれは誰かの引っ越しか
それとも何かのメンテナンスだったか
みんなお金なんか持ってないから
何かあると寄り集まった
誰かん家のタンスに登って
数人でひっぱたりたたいたり
ちょいと面倒な作業をしていたときのこと
オレはひどくいらついていたのか
それともそんな質だったのか
今となっては記憶をたどったところで
所詮ウソっぽくなるので避けておくが
センパイを前にどうしたらこうも
口がまわるのか、というほど
いや、今まで生きて来た中で
最も口達者になったがごとくの
ホレボレするような言い回しで
悪態をついた
しかも長台詞を決め込んだ
口を動かしている間のオレときたら
まるで操り人形のごとく
それが何を意味するのか
どう影響するのかなど
考える余地もなかった
いや、それまで、その瞬間まで
波紋なるものを想像したこともなかった
ふと我に返ると
心の底から想っているあの子が
いままで経験したことのない
ずっとしまいこんだままでいい
そう思えるようなあの子への想い
その子を前に
人生最大の悪態をついてしまった
しかも。その子に指摘されるまで
それに気づかない私の愚かさよ。
「あの。しゃべるのやめてもらえますか?」
なんてことをしたんだオレ
どうして見境無しにこんなこと
でも、こんなオレだから
きっと今じゃなくても
いつかしでかしただろう
そしてオレの素性があからさまになって
まっこうから嫌われるんだ
もうおしまいだ
光の向こうに
オレンジ色のドレスを着た
美しい女の子たちがいた
夢か。
醒めた今でも
あれは夢じゃなかったんじゃないか
そう思えて仕方ない
それはもう昔のこと。
2012年03月22日
ボクには元気のないセンパイが想像できない
ボクには元気のないセンパイが想像できない(笑。。
でもどうやらボクたちは似ているところがあるんだね。
いや、高校生の頃はたいていの人がそう思ってたのかもしれない..。
いや、高校生の頃はたいていの人がそう思ってたのかもしれない..。
そうそう、明るくもなれないだろ、、、
センパイが言ってた「大切な記憶」のこと。
記憶が無くなったことを意識していないのなら、まぁそれはそれでいい、というか、仕方ないんだろうけど、消えて行く記憶を嘆きながらただ見ているだけしかできない自分がいたとき、いつかそれを悲しさ抜きで傍観できるような、達観したオトナになれたりするんだろうか。。とか。。
でも、、今のこの私の記憶なくなちゃったら、、悲しい。
ものすごく悲しいと思えるようにはなった。
でも、、今のこの私の記憶なくなちゃったら、、悲しい。
ものすごく悲しいと思えるようにはなった。
2012年02月29日
2011年10月24日
あの日食べた麺の名前さえ僕らはまだ知らない-6
としちゃんの話によると
生まれてくる子をアメリカ国籍にするために
向こうで出産するそうだ
わたしはまだ仕事を担う責任感にも甘く
どうやって生きて行くのかすらおぼつかなく
ましてや子供を生んで育てるなんて
考えたことすら、いや、考えたくもなかった
どうしたらそんな決心ができるのか
想像すらつかなかった
N.Y.で生活することを夢見ていた
英語すらおぼつかないのに
そこに行けば人生の目星がつくかもしれない
そんな浅はかな夢を抱いて
わたしは現実逃避をしていたのだ
予備校で仲の良かったミキオも
N.N.に行ったらしい
ドラッグに溺れて消息不明
そう聞いた。
恵比寿のアパートに会いに行くと
まんまるでふくふくしたあかちゃんがいた
きゃっきゃと笑って手足をぷんぷんさせて
まるでどこか遠くからやってきた
知らない世界の宇宙人にも見えた
こうちゃんはこれまで見せたこともないくらい
ひどくオトナに見えた。
いままで見たこともないくらい頼もしく見えた
あぁ、わたしもこうして誰かを守ってあげられる
そんな人間になれるのだろうか...。
いやきっと一生無理かもしれない
「戻ってこい」
結局こうちゃんは連れ戻したのだ
飛行機に乗って太平洋を渡り
アメリカで生まれるはずだった子は
こうちゃんのその一言で
生粋の東京人としての人生を歩むことになった
2011年06月14日
あの日食べた麺の名前さえ僕らはまだ知らない-5
寝床にしていた三島ビルは
伊勢佐木町の一本裏にある
親不孝通りにあった
6畳に床の間
3畳程度のキッチンと風呂場のついた
古いアパートで
水商売を引退したおばちゃんやら
薄暗い荷物いっぱいの部屋で
ひとり肩をすくめ丸くなって
じっと一日中動かないおじさんやら
不思議な住人のアジトだった。
なぜ部屋の中のおじさんの様子が
手に取るように分かるのかといえば
終日、玄関のドアを開けているので
イヤでも目に入るというわけだ
前の生命保険会社のビルの1Fには
ドレミという名のナイトクラブがあり
客引きのおじさんは毎日元気に
声をかけてくれた
この日もニチオが遊びに来ていて
というか、毎日いたりするのだから
いわば住人である
「小金持になろうよー」
ニチオがそう持ちかけて来た
聞けば来日中のデビッド・ボウイのデスマスク
(フェイスマスクとでもいうのだろうか)
を石膏どりしたという
このボウイのデスマスクを大量に作って
売ろうじゃないか、というのだ
小金持になった気分の私たちは
あれやこれやと夢や希望や
ガラクタめいた話で盛り上がり
それじゃあ、まずはこーちゃんに
話をふってみよう、ということになった
328には芸能人やらあやしいひとたちが
行き来しているので
きっと話に乗ってくれるだろうと
そうして私は電話をした
云わずと知れた口べたゆえ
何度となく電話でのやりとりを練習した
「もしもしーこうちゃんー?
あのさーデビッド・ボウイの
デスマスクいらない?」
当時、三島ビルには電話がなかったので
電話をするのは実家が近い私がやれ、と
そういうことだ
何度も受話器を置き
さんざん迷った末、ようやく電話をした
こーちゃんはすぐに電話に出た
「デビッド・ボウイのデスマスクいらない?」
「いらないー」
あれだけ長い時間をうろうろ彷徨い
会話はあっけなく15秒で済んだ
翌朝、三島ビルで待つ二人に
さっそく訊かれた
「こーちゃん何て?」
「いらないって」
ただそう答えた。
寝付けなかった夜
白紙の原稿用紙で100枚以上は
話したいことがあった
でも何も口に出てこなかった
2011年06月13日
あの日食べた麺の名前さえ僕らはまだ知らない-4
今となっては、いつ初めて出会ったのか
実のところ、よく覚えていない
その頃のこーちゃんは霞町にある
「328」という店で働いていた
横浜から東京へ遊びに行くと
必ずこーちゃんのところに寄って
何をするわけでもなく
ずっとカウンターに座って
彼が働く姿をぼーっと眺めていた
何の話もすることなく
ただ座っている口べたな私に
話しかけるわけでもなく
置いてある食べ物は
ベビースターラーメン
他の物は一切置いていない
ベビースターラーメン祭りだ
お金を殆ど持たない私たちの
いわば「東京の味」ともいえる
「こーちゃん、お腹空いたー」
とカウンター越しにねだると
このベビースターラーメンが出てきた
東京に飢えていた私たちは
この日も新しく出来た
「ピテカントロプスエレクトス」
(通称「ピテカン」)
という店に行こうと
ここ東京にやってきた
しかし結局、ピテカンにも
他の店に行くことも
一度たりとももなかった
こーちゃんの店に寄ったなら
「そんなつまらん店には行くな」
と阻止されるからである
「貧乏人はここにいればいい」
というのが彼の弁である
「おもしろいところないー?」
と聞くと「ない」という
結局僕たちは328で
一度たりともお金というものを
払ったことはない
いつもお腹を空かせ
いつもどこかイライラしていた
いつもどこかにおもしろいものが
あるんじゃないかと探していた